人生にはチャレンジが必要

私は現在の会社を設立する前に某運送会社の4トンドライバーとして正社員雇用で働いていた時期があります。

その時は定期案件ではなく、いわゆるチャーター対応のドライバーとして従事していました。

当時、弥富にあったAmazonの大型倉庫から最大12ロールボックスを静岡県清水区に1日2往復走ったり、関東、関西、九州、東北に緊急便を配達したりと日本中を駆け回っておりました。

私はもともと運転自体はそれほど好きではなかったのですが、与えられた責任を全うしていれば、ある程度それ以外では何をしていても許されるといったポジションが心地良く、天職かな?とすら思った時もありました。

4トントラックと言うのは、運転席の後ろにスペースがあり、少し狭いですが寝ることが出来るので、運行間はコンビニやパーキングエリア、会社の車庫に停めて車中泊をし、自宅には1、2週間に1回帰るような生活をしていましたが、生活拠点に拘りを持たない性質もあり、充実した生活を送っていました。

しかし、運行間の空き時間にふと人生設計と称した皮算用をあれこれしていた時のこと、
このままお給料を毎月4、50万円貰って積立投資をし、コツコツと資産を積み上げて行ったとしたら、見たいな
試算をすると、70歳頃には5、6000万円の資産が積み上がる計算が出来ました。

この時一瞬、安堵感を感じたと共に、深い絶望感を抱いたのを覚えています。

「あと30年くらいこの生活を繰り返すのか」と

確かに、慣れた環境で特にプレッシャーを感じることなく、日々のスケジュールをこなしていくことで老後の安定が手に入るというのは、
一般的に見たら「何が不満か?」と思われるかもしれません。

でも、決まっている未来を辿る虚無感を否定出来ませんでした。

毎日極度のプレッシャーの中、生きるか死ぬかのレースを日課にしたいわけではありません。

自分の中に課題を見つけて、それを克服していく、成長を実感出来る環境に身を置きたかったのかもしれません。

どう在りたいのか

どう成りたいのか

どう過ごしたいのか

どう締めくくりたいのか

どう関わりたいのか

何回も何回も自分との会話を繰り返した結果、人生=「挑戦」という仮説を立てることにしました。

出来ることを繰り返す過程に挑戦はありません。

出来ないことと向き合う環境の中に自分の在り方があると思い、

会社員という道と訣別して、私が最も苦手とする「人との関わり」「人を使う」ことが大前提である会社運営の道を歩む決断をしました。

尾崎