▶️研ぎ澄まされる感性

今週は読書週間でした。

「猫を抱いて象と泳ぐ」
「コンビニ兄弟」
「ただ君に幸あらんことを」
「誰かが私を殺した」
「ストロベリーナイト」

ページをめくるたび、小説家たちが持つ「言葉を操る感性」の鋭さに圧倒されました。

例えば、盤上の宇宙にのめり込むリトル・アリョーヒンの孤独な思索。

コンビニの日常を舞台に、人々の心の距離をさりげなく繋ぎ合わせるフェロ店長の温かい言葉。

あるいは、闇に潜む悪を執念で暴き出そうとする姫川玲子の張り詰めた緊張感。

彼らが選ぶ単語一つで、灰色の日常が急に色彩を帯びたり、

当たり前だと思っていた景色ががらりと変わって見えたりする。

まさに「言葉というレンズ」を通して、世界の解像度が強制的に引き上げられる感覚です。

こうした文字の羅列のみで、作者の創造する世界へと没入させてしまう手腕には、ただただ脱帽するしかありません。

彼らが紡ぐ一文一文の重みに触れ、
自分もまた、自らの言葉を選び取り、どんな視点で世界を切り取っていくべきか、深く考えさせられました。

そして今週の締めくくりに、映画『ギフテッド』を観ました。

この作品で私が感じたのは、言葉を超えた、もっと根源的な「人間としての選択」の美しさです。

天才的な才能という特殊な設定でありながら、そこで描かれるのは、誰しもが抱える「自分らしくあること」への葛藤でした。

こうした物語や映画に触れるたび、自分の中の感性が静かに、しかし確実に研ぎ澄まされていくのを感じます。

メアリーのセリフ

「すごく凄く頭が良いんだけど、誰も気づいていないの。フレッドの気持ちは誰にもわからないの、、」

という部分が大好きですね。

良い作品と向き合うことは、自分の内側にある「感覚の器」を広げ、より微細な機微を感じ取れるようにすること。

この一週間、読書と映画を通じて、自分自身の感性と丁寧に向き合う贅沢な時間を過ごすことができました。

尾崎